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自由にいろいろな話題を発信します。

2022/06/07 【芒種】ぼうしゅ

《二十四節気》6月5日〜20日
🌟【芒種】ぼうしゅ🌟
『芒ある穀類 稼種する時也』

【芒種】&【今週末の京都】のご案内

大原水井山登山口の棚田です。
おたまじゃくしが「すいすい」
と、元気に泳いでいますよ。

芒を持った稲や麦など穂の出る
イネ科の植物の種を蒔く頃。
稲や麦の穂先にできる針のような突起を、
芒(のぎ)と呼ばれています。

トレラン出発が遅かったので、
仕方なく大原に下山しましたが、
棚田と大原の里山に癒やされました。

【芒種】の続きです。
暦の解説書『暦便覧』
天明七年(1787)に出版。
江戸期、京都では光格天皇の時代、
11代将軍徳川家斉公の時代です。
太玄斎(ペンネーム:本名は松平 頼救)の
著書では、
「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」
と記されています。
常陸宍戸藩5代目藩主で、隠居してから
「太玄斎」を名乗っていたそうです。

豊穣を齎す梅雨の頃、
昔、田植えは神聖な行事とされ
「早乙女」と呼ばれる清らかな女性の
役目とされ、田植えの前に、一定期間
心身を清める「物忌み」をしていました。

ここに「端午の節供」が結びつき、
早乙女は菖蒲や蓬で、屋根を葺いた小屋に
一晩篭って、菖蒲酒を飲み、穢れを祓い、
神聖な存在になってから田植えに
臨むようになりました。

田植えの神様は男性なので、
女性が主役の祭りが多く、
昔は、稲を田んぼに植え付けるのは
女性の仕事でした。

田植えの前に早乙女たちが
模擬的な田植えを演じ、豊作を祈願する
習わしが今に伝えられています。

大原の伝統漬物『しば漬け』に欠かせない
大原の希少な赤紫蘇の原種。
八百年前から「自家採種」を行い、
交雑しないように受け継がれている
ということは以前にお伝えしましたが、
画像がなかったので、トレランど大原に
下山した際に、寂光院途中の集落で、
📷してきました。


大原の赤紫蘇の畑の風景はこんな感じ⤵️

【朧の清水(おぼろのしみず)Oboro-no-Simizu(clear water)】
寂光院への参道の途中にある泉。
建礼門院(平徳子:平清盛の娘)が、
寂光院にお入りになる道すがら日が暮れ、
月の明かりでこの泉に姿を映された
という。by大原観光保勝会より⤵️
https://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/detail/5662/

「すみなれし おぼろの清水 せく塵を
かきながすにぞ すゑはひきける」西行

「そよ、大原や おぼろのしみづ 
  世にすまば 又もあひみん 
   おもがはりすな」後白河法皇

今週末の天候が微妙ですが、
週間天気予報は日々、めまぐるしく
変動していて、晴れるといいなあ~…

毎日、何かしらのイベント、
伝統行事がある京都です。今週末は?

【伏見稲荷大社】『田植祭』
6月10日(金)13時〜
ご神前に日々供饌されるご料米の稲苗を
神田へ植えるお祭で、本殿祭の後祭場は
神田に移され、王朝をしのばせる典雅な
「御田舞」が奏される中を“早乙女”らに
よって田植がすすめられます。

【石清水八幡宮】『御田植祭』
6月 12日 (日)11時30分〜
田植えの前に神田にて執り行われる神事。
神事ののち五穀豊穣を願い神職
巫女らにより田植えが執り行われます。

《七十二候》
【蟷螂生】かまきりしょうず
初侯 6月5日〜6月9日頃
秋に生みつけられた卵から、
かまきりが誕生する頃。
かまきりは農作物を食べることなく、
害虫を捕まえてくれる、
なんとも有難い存在です。
この頃、禿庵の坪庭にも蟷螂が出没?!
害虫退治に一役買ってくれています。

京都検定を受ける方へ。
蟷螂(かまきり)と言えば、
京都ではコロナ禍、
中止になっていた京都三大祭のひとつ、
3年ぶりに山鉾巡行が執り行われる
『祇園祭』!!
http://www.gionmatsuri.or.jp/

7月17日の『前祭』で巡行する山鉾、
【蟷螂山(とうろうやま)】
「蟷螂の斧を以て 隆車の隧(わだち)を
禦(ふせ)がんと欲す」という
中国の古典にある故事に由来し、
絶対に敵いそうにない相手にも
臆せず立ち向かう様を表しています。

圧倒的な戦力を持ったロシアに臆せずに
立ち向かっているウクライナの国民と
ダブると感じたのは執事だけでしょうか?

南北朝期、室町幕府のニ代将軍
足利義詮(よしあきら)の軍に挑んで、
戦死した四条隆資(たかすけ)が、
この町内に住んでいたことから、
彼の戦いぶりを偲んで没後25年目の
永和2年(1376)、四条家の御所車に、
カマキリの像を乗せて巡行したことが
起源だそうです。

特徴は、かまきりと御所車の車輪が
動くなど、祇園祭の山鉾としては、 
唯一のからくりが施されていること。

前懸(まえかけ)、胴懸(どうかけ)、
見送(みおくり)は、
共に羽田登喜男(はだときお)作の友禅で、
瑞苑浮遊図(ずいえんふゆうず)
などがあります。
応仁の乱以前からの歴史の古い山です。

ですが、3年間も開催されていないと、
蟷螂山を📷した画像が見当たらないので
上記のURLまたはYouTubeなどで
ご覧下さい。
代替えにはなりませんが、
禿庵にある『長刀鉾』で、ご容赦を!

「蟷螂の斧を以て 隆車の隧(わだち)を
禦(ふせ)がんと欲す」という中国の古典に
ある故事に由来すると記しましたが、
深く掘り下げると、その故事とは?

【韓詩外伝(かんしがいでん)】
前漢の韓嬰(かんえい)による著書、
「蟷螂の斧(とうろうのおの)」より。

斉国の三代目の君主だった荘公が、
馬車で出かけたが、道中、道の真ん中に
1匹のカマキリを見つけ、無謀にも?!
逃げ出すことなく、前足を振り上げて、
馬車に向かってきたそうです。

荘公は、御者(ぎょしゃ)に、
「これはなんという名の虫か?」と尋ね、
「かまきり」という名にございます。
「その虫は、進むことを知っていますが、
退くことを知りません。
自分の力量を考えず、敵をを軽く見る虫で
ございます。」と荘公に言ったのでした。

荘公は、「この虫が人間であったならば,
天下の勇武になったに違いない」と言い、
その勇気を賞して、わざわざ車の向きを
変えさせ「かまきり」を避けて通った。

蟷螂之斧【原文】
斉荘公出猟。有一虫
挙足将搏其輪
問其御曰、「此何虫也」
対曰、「此所謂螳螂者也
其為虫也、知進而不知却
不量力而軽敵」
荘公曰、「此為人而必為天下勇武矣」 
廻車而避之
勇武聞之知所尽死矣

荘公がが一匹の虫に道を譲ったこの故事は
いつしか日本に伝わり、
「かまきり」は勇気ある虫とされ、
戦国時代の兜には「刈り取る」象徴として
羽を広げた「かまきり」を
前立てに用いていたものもいたそうです。

韓嬰とは?何者か?
『漢書』儒林伝によると、
文帝の博士・景帝の常山太傅であり、
『詩』の内伝と外伝を作った。
武帝の前で董仲舒(とうちゅうじょ/
儒学者『春秋』学者)と論争をしたが、
韓嬰の説くところは明晰で、董仲舒は
論難することができなかったと伝わる。

禿庵にも今年は、かまきりが来る?!
祇園祭がもうすぐだあ。
今日もとっても長くなりましたが
ご容赦下さい。

京都には、二十四の、七十二の季節が
感じられる楽しみがたくさんあります。
京都へお越し下さい。

今日も有難うございました。
よきご縁に感謝!


أشكركم شكرا جزيلا

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メール(kamuroankyoto@gmail.com)でお気軽にお寄せください。
ご覧くださり本当にありがとうございました。

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