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2022/06/02 信長忌【寺町・阿弥陀寺】

6月2日(木)10時~法要&講話
「織田信長公本廟所」
年に一度の堂内公開法要「信長忌」に
お邪魔させて頂きました。

日曜日頃から梅雨入り??
終日、晴天が続くのは2日(木)が
最後の貴重な日となりました。
陽射しは厳しいものの、心地よい風が
吹いて、信長公も喜んでいらっしゃる
のでは?!

コロナ禍、年に一度ということもあり、
車のナンバーを見ると岐阜、鹿児島など
全国からたくさんの方が堂内所狭しと
法要に訪れていらっしゃいました。

「人間五十年 下天の内にくらぶれば
夢幻の如くなり」
越前国丹生郡西田中村を根拠地とした
「幸若舞」(こうわかまい)を信長公は
愛好し『敦盛』を特に好んでいた。

天正10年6月2日
明智光秀の謀反により、
『本能寺の変』が起こり、
信長公は自刃され、森蘭丸はじめ、
近習の武士に遺骸を託され、
阿弥陀寺に運んだと伝わります。

織田信長の遺骸の行方に諸説あるが、
大正6年、勅使来訪織田信長公
正一位階追陞「織田信長公本廟」として
公認された寺。

「信長忌」の法要に合わせ、
普段非公開の本堂内・寺宝が公開され、
御本尊をはじめ、信長公木像・位牌、
同織田家中討死衆合祀位牌、
信長が本能寺にて使用した槍先、
明智光秀や木下藤吉郎(豊臣秀吉)の書状等
寺宝を拝見することが叶いました。

開山清玉上人は、織田家で育ち、
その庇護にて僧となり、
信長は京における織田家菩提寺として
阿弥陀寺を整備し、正親町帝の信頼篤く、
東大寺再建の勧進職に任じられた高僧。

同日明智光秀に会い、本能寺・二条城にて
討死の114名の供養を申し出、
許可され、遺骸を運び、共に供養
埋葬したと伝わる。
境内裏手の墓所に、信長公・信忠公等
織田一族をはじめ、森蘭丸等、
本能寺・二条城において討死した
織田家臣の暮石・供養塔が祀られている。

豊臣秀吉によって、寺町に移転縮小され、
清玉上人が亡くなると、阿弥陀寺は次第に
困窮し、森蘭丸の一族、森家の援助で、
再興していきました。

阿弥陀様、開山・清玉上人、信長公、
嫡男・信忠、兄・信広の木造が印象的。
特に、信長公は凛々しい印象でした。

法要の間、信長公の最後の言葉と伝わる
『是非に及ばず』の意味を考えてました。
「仕方ない」というネガティブ志向に
とられがちな意味と、
「困難があっても乗り越えよう」という
強い意志のポジティブな志向があると。
まだまだウクライナの情勢のことも
あるものの、ポジティブ志向で行こう!

ヘレン・ケラーさんは、こんな言葉を
この世に残して下さいました。⤵️
Although the world is full of suffering,
it is full of the overcoming of it.
世界は困難ばかりだけど、
それに打ち勝つことでも溢れている。

来年以降、是非、この機会に、
京都へお越し下さい。

今日も読んで頂きまして感謝!感謝!
です。


أشكركم شكرا جزيلا

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