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2022/04/27 I love 還来神社 !

「もどろきの 神に祈りて 無事還る」
古来より旅の安全と無事帰還を祈願する神社です。
小さいけれど素敵な神社ですよ!
比良比叡トレイルの入山下山口の向かい
和邇川(わにがわ)に架かる
朱塗りの橋を渡ると還来神社があります。
鳥居は両部鳥居で、密教の金剛・胎蔵の両部を表し
、神仏習合の名残を示していて、鳥居をくぐると
「梛の木(なぎのき)」が御神木として祀られています。

◇アクセス◇
登山を加味した時刻です。土日は午後便有
下山のアクセスには不向きです。
江若交通バス時刻表
http://www.kojak.co.jp/uploads/kataka.pdf
平日:JR堅田駅 59系統(伊香立小学校行き) 07時58分発
下車:伊香立中学校前 08時11分着
還来神社まで徒歩22分程度/1.7km
土日:JR堅田駅 51系統(細川行き)
堅田駅発 08時50分
下車:還来神社前着 09時11分

御祭神、藤原旅子は第五十代桓武天皇の皇妃にして、
第五十三代淳和天皇の生母であり、太政大臣 
藤原百川(ふじわらのももかわ)の女(むすめ)である。
往昔、此の龍華の荘(大津市伊香立途中町、
上龍華町、下龍華町)は藤原氏の食邑地にして、
当時其の邸宅あり、旅子此処に生まる。
長じて比良の南麓、最勝寺の開祖、静安に随侍し佛に帰依す。
土俗称して蓮華婦人という。静安、勅を奉じ、
しばしば宮中に参候して、佛名会、灌佛会等を行う。
是により才色兼備旅子、桓武天皇に召し出され、
第五十三代淳和天皇を生み奉る。旅子甚だしく帝の寵愛深りしが
、京都西院に隠棲され、延暦七年(西暦七八八年)五月十八日病を得て逝去さる。
病重篤と成りし時『我が出生の地、
比良の南麓に梛(なぎ)の大木有り、
その下に葬る可し』と遺命されし故、
此処に神霊として祭祀さる。(鳥居真正面の古木が梛の木)

旬な話題「鎌倉殿の13人」ということもあり源氏ゆかりの地から!
◆源氏の信仰◆
平治の乱(西暦1159年)起こりし時、
戦に敗れし源義朝の一行は八瀬大原街道を敗走、
ようやくにして此の還来神社社頭に着き、
白羽鳴鏑の矢を献じ武運長久を祈願する。
此の一行に有りし源頼朝、落伍し途中の山に迷い乍らも、
やがて還来神社に到着、源氏の再興を祈願し、
東国へと走る。
後年、頼朝源氏の頭領として君臨せし時、
此の還来大明神を忘れ難く神田を寄与す。

同じ旅の安全祈願&鎌倉殿の13人の
京都ゆかりの地!的には「首途(かとで)八幡宮」かも。
遮那王が奥州平泉の藤原秀衡頼って旅立つ際に、
首途八幡宮で旅の安全祈願をして出立したそうです。
京を出立して三日後には熱田神宮で
稚児姿を捨て元服して、九郞義経と名乗った。

京都検定的には京都にも同じ名前を持つ神社あり。
【西院還来神社】
西院春日神社の境内にある神社。
祭神は淳和天皇の皇后正子と藤原旅子、橘嘉智子。
貞観十六年(八七四)四月十九日、
皇后の御殿が火災にみまわれた折、
皇后は逃げ惑う女官たちに対して毅然とし、
自ら避難のご指示をされました。
女官たちは、皇后のお言葉に心を鎮め、
仮御殿に避難をしたところ皇后の御殿のみが焼失をまぬがれ、
四月二十七日、皇后は無事晴れやかにお還りになりました。
後世、皇后のご功績をたたえて、
元にもどり還り来る「還来の大神」として崇められ、
旅行・道中の安全守護とし、
現在でも天皇皇后両陛下の海外行幸啓には
両陛下や供奉員の安全を祈願されます。

火曜は雨が降ったり止んだり、
突然ザーザー降りだったり、
小雨程度だった午前中に還来神社にマイカーで、行ったよ。
目的は大原里の駅へ新鮮な旬の春野菜の買い出しでした。
29日にお客様とのご縁を頂いているので、
朝食にエネルギーに満ちた大原の野菜を食べてもらおうと思っての買い出し。
朝10時頃の到着だったこともあり、
春キャベツは残りひとつゲット!
満たされず、還来神社のあとに、滋賀県の琵琶湖の畔、
堅田の道の駅「琵琶湖大橋米プラザ」&
近江牛牧場直営「農家レストランだいきち」で
ランチするわけではなく買い出しでした。
小腹が空いたので、近江牛のコロッケをゲット!
ここの近江牛はコロッケひとつとっても美味なるものですよ。

ご感想やリクエストがございましたら、
メール(kamuroankyoto@gmail.com)でお気軽にお寄せください。
ご覧くださり本当にありがとうございました。

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